2013 北九州の戦中戦後

生まれ育った北九州市の市制50周年に当たり
「みらいへ 北九州の戦中戦後/We Remember You」という冊子を製作しました。
2013年2月10日発行
冊子はPDFファイルでも覧頂けます。



目次
戦争史と北九州周辺の出来事…..02
小倉陸軍造兵廠…..03
門司:出征・空襲・連合軍捕虜…..05
八幡大空襲 1945.8.8……07
原子爆弾・小倉上空 1945.8.9…..08
朝鮮戦争とメモリアルクロス…..09
世界平和パゴダ…..11
オランダ人元捕虜と水巻町の友情…..12
みらいへ…..13

冊子はPDFファイルからご覧頂けます。
(右クリック「名前を付けてリンク先を保存」で保存ができます)

1999年、カルフォルニアに住むアメリカ退役軍人ドナルド・ヴァーソーさんとアメリカでの音楽活動を通して知り合いました。彼は太平洋戦争中、捕虜として飯塚の炭鉱で労働していました。2011年、ふとしたきっかけで、2010年秋当時89歳の彼が日本政府の元米兵捕虜招聘プログラムで来日した事を知り、彼がまだ生きている事を知りすぐに関係団体へ連絡をしました。インターネットで捕虜の事を調べると、彼らは南方から船で運ばれ多くが門司から入り、生きて門司に辿りついた捕虜はそこから全国の収容所に送られました。全国で最も多くの捕虜が亡くなった場所が北九州でした。

この事がきっかけとなりあの戦争の事を調べ始めると次から次に知らなかった出来事、地名や名前が出てきて興味は尽きず、夜な夜な布団の中でiPhoneを握り検索をしました。
東南アジアやシベリアには今も日本に帰れない日本人のご遺骨が100万柱以上ある事を知り「遺骨収集」というもの体験してみたいと思い登山家野口健さんが行う沖縄遺骨収集に参加してみました。外務省とオランダ政府により行われる水巻町でのオランダ人招聘プログラムに参加し太平洋戦争でなぜオランダやインドネシアが関係していたのか知りました。1950年に始まった朝鮮戦争では北九州が最も釜山に近く多くの兵士が北九州から韓国に渡り亡くなった事や、朝鮮戦争によりとても大きな経済効果があったと知りました。何かを知るとその事をきっかけにまた解らない事が出来ては検索をし、気付けばあの時代の歴史がパズルのように埋まって行きました。

様々な角度からの太平洋戦争(大東亜戦争)を知り、あの時代の北九州を知り、私の命が多くの偶然によりかろうじて繋がれた事や私たちの世代が忘れてしまっている沢山の歴史や命がある事を知りました。北九州市50周年の節目に20~40代の人たちがあの時代の歴史や命を知るきっかけになるような冊子を作りたいと思いました。

この冊子は第二次世界大戦以降を主に取り上げていますが、歴史を細かく説明していません。戦争はそれぞれの国や立場により、情報、思想、経験、想いなどが全く異なります。気になる単語や出来事があれば、PCやスマートフォンで検索してください。その先でまた知らない事を見つけたら、また検索をしてください。

ニューヨークに7年住み、その後バックパックを担いでインド・東南アジアを放浪し、首都圏に12年住んだ私は、今、日本と世界と私が生まれ育った北九州の歴史に夢中です。北九州に軸を置き、時代・世代、国境を越えて世界中の人々に繋がっています。
北九州市制50周年おめでとうございます。

2013年2月10日
Angels Swing 白石昌子(Seina)


  • 朝鮮戦争とメモリアルクロスに関する補足記事 (2013年2月8日の投稿)
            ⇒ 朝鮮戦争で多くの戦死者が運ばれた街「小倉」
  • 2013年2月10日の北九州市制50周年イベントで配布をした際の報告の日記は ⇒ こちらへ
  • PDFファイル内の誤字・ミスタイプ等を修正いたしました。(2013年2月13日)