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企画案 2012年

2012年にアメリカを横断して100か所の老人ホームコンサートに向けて

1:Angels Swing(白石昌子)の今までの活動の概要と流れ

1999年全米第二次大戦時のアメリカの流行歌をその時代を生きたミュージシャンと演奏、CDを作成し3500の要介護老人ホームに贈る
その後100か所の老人ホームで歌いたいと数度計画するがスポンサーは見つからず断念。音楽の世界から離れる。

2000年以降何度も計画、資金や協力者が得られず何度も断念。
2007年精神的に歌う事が出来なくなった私は恩師レナード・ガスキンと約束「100か所の老人ホームでコンサートをする」と約束。しかしやはり協力は得られず断念。

2008年、要介護老人ホームにいるレナード・ガスキンを訪ね Local802(ニューヨークのミュージシャン労働組合)ボブ・クランショウバーサ・ホープジェローム・ジェニングスの協力により8年ぶりにニューヨークの老人ホームでコンサートを行う。

2011年8月、1999年のプロジェクトの際の新聞記事を見て連絡があった第二次世界大戦時捕虜として日本で過ごしたアメリカ退役軍人ドナルド・ヴァーソーさんとネット上で再会。元アメリカ兵に対しては初の2010年日本政府のPOW(Prisoner of War)の招待プログラムのメンバーで来日していた事、彼がまだ健在だと言う事を知り、何度も諦めたアメリカ横断100か所の老人ホームで第二次大戦時代の歌をその時代を生き祈りや願いを込めた本当のオーディエンスに歌いたい、もう時間はないと思い北九州のコンサートホールで12年ぶりのコンサートを行う事を決めた。(北九州市には2011年5月に11年ぶり引っ越し音楽活動からも離れていたのでかなり無謀だったと思います)

2011年8月、ボブ・クランショウに連絡、老人ホームツアーをする為の資金作りの為にCDを制作したいと相談。同年11月ニューヨークにて録音。ベース:ボブ・クランショウ、ピアノ:ジョン・コリアーニ、ドラム:リロイ・ウイリアムス(当初ドラムは恩師グラディ・テイトの予定が体調不良のため変更)。2012年2月アルバム「Thanks for the Memory/Angels Swing」(アルバムのサイトは2月中旬公開予定)完成。


2:第二次大戦時代のアメリカの流行歌への想い

生きて帰って来て欲しい、もう会えないかもしれない、あの時代だからこそあった祈りや願いが歌の中に今も光の様に残っている。
当時の日本にはそのようなセンチメンタルな歌は殆どないようだ。
互いの国に今も様々な思いが残っている為難しい部分もあるがどちらの兵士も国・家族の為に戦争へ行き、家族は彼らの無事と再会を祈り願い、辛い思いをしたのは同じだと、私は思う。言葉で伝える事の難しい事だけど、歌の中に沢山のメッセージが光の様に残っている気がする。

お歳を召した方々は沢山の事を忘れたりしているが、歌が始まると深い記憶の扉が開くように想い出がめぐり全ての歌詞を覚えていて一緒に口ずさむ。
彼らと一緒に歌いたい。彼らの歌を愛してしまったから。

3:今回の「アメリカ横断老人ホーム100か所ツアー」計画
    • 2012年秋からニューヨークを出発地点とし西海岸で折り返しニューヨークを終点とする(ドナルド・ヴァーソーさんはLA在住)
    •  レコーディングの音源から歌を抜きカラオケを作り、カラオケでコンサートを行う。演奏をしたミュージシャンは世界トップレベルのミュージシャンであり、カラオケでコンサートをする事で大きく費用を削減できる。
    •  移動はアメリカを細かく網羅しているグレイハウンドバスをメインで使う。(元捕虜と遺族の霊山観音への訪問の記事を見てアイデアを得る。霊山観音は、第二次世界大戦の戦没者および戦争の犠牲者を追悼するため、1955年、帝産グループ創設者、石川博資によって建立。白石昌子は1987年に帝産観光に入社、帝産観光バスの車体に描かれている犬は大陸を横断するグレイハウンドバスへの思いで書かれている事を思い出してアイデアを得る)
    •  期間:準備を含め約6カ月間
    •  費用:
      ・準備費用:渡米費。NY滞在費。レコーディング費用(カラオケに足りない楽曲もある為)。通信費。
      ・ツアー費用:移動費。宿泊費。食費。通信費。レンタカー費(一部のエリアで必要)。楽曲の使用料(著作権)
    • CD「Thanks for The Memory」の売上で資金を作る。CD2000枚を目標とする。その他iTunes等を利用しダウンロード販売を予定。
    •  100か所の老人ホームの選出は米国カリフォルニア州の非営利団体 「US-JAPAN DIALOGUE ON POWS」のサポートで退役軍人等に協力してもらう。1999年のプロジェクトの際に頂いた感謝状などから選出。
    • 渡航ビザはB-1もしくはB-2を検討

    4:広報・PR

    CDの販売を伸ばす為にPRと広報は必要。
    現在メディアの形態が多岐にわたる為さまざまな角度からのアプローチが必要。
    口コミや紹介で繋いで行く事が大事だと感じています。

    5:問題点と解決策
    1.  100か所の老人ホームのスケジューリング
      →バスの経路を考慮に入れてPOW関係者や各老人ホームに協力をしてもらう。
    2.  グレイハウンドのバス停からの移動
      →各老人ホームの担当者に迎えに来てもらう。
    3. 宿泊先への移動
      →バスターミナルやバス停に近い宿泊施設をなるべく探す。宿泊施設に移動しやすい老人ホームをなるべく選ぶ。
    4. 移動に関する問題が多く、長距離はバスで移動し、その後レンタカーを利用し車で移動可能な距離内数か所の老人ホームでコンサートを行う事もひとつのアイデア。その場合はレンタカーにかかる費用分を考え資金がより必要になる。

    6:アメリカ横断老人ホーム100か所ツアー終了後の予定
    元捕虜ドナルド・ヴァーソーさんとの2011年のネット上での再会により北九州市の門司港が第二次大戦中連合軍捕虜輸送の際の玄関口であった(1艘のみ大阪)事が解り、大戦中約36000人の捕虜が日本に輸送され約3500人の捕虜が日本国内で死亡。また輸送中に自国(連合軍)の攻撃で亡くなった兵士も多い。第二次大戦中に愛されたイギリス人歌手Vera Lynnが歌うWe’ll Meet Againの流れる慰霊碑を門司の港に造りたい。Vera Lynnは2012年1月現在94歳で健在。
    問題は多くあり、北九州市は多くの空襲があり地元の方々の感情面がまだ複雑。また捕虜を使った日本の企業の多くがその事実を認めておらず元捕虜や遺族は謝罪を求めているが受け入れられていない事が元捕虜側と企業側で複雑な感情になっている。元捕虜側は補償を求めているのではなく理解を求めている。山口県美祢にある大嶺捕虜収容所にある記念碑は当時の使役企業である宇部興産が土地を無料提供しています。当時の使役企業であった、日立、三菱、三井、川崎、住友、日本車両、新日鉄、門司港湾などの協力を得る事ができる形を作る事が可能であれば互いにとってひとつの和解の形が出来るのではないかと思っています。門司港に慰霊碑を作る事は元捕虜・遺族の長年の夢でもあるそうです。

    プロジェクトのタイトルは「For the Boys / We Remember You」1991年歌手のベット・ミドラー主演の映画「For the Boys」からとっています。この映画は第二次大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争と通して慰問をした歌手の物語です。映画の中で歌われるI Remember You, このプロジェクトにおいては歴史の陰になり忘れられた兵士たちを「私達はあなたの命や歴史を覚えています。」という意味で、元兵士へ捧げるとともにこれからの人たちも歴史や彼らの命を覚えておいてほしい、という願いから「For the Boys / We Remember You」とつけました。