ボブ・クランショウとの思い出。



2016年11月3日、キューバのハバナでボブの悲報を友人のメッセージで受け取りました。
数週間前にボブが癌の第4ステージである事をLocal 802(ニューヨークのミュージシャンユニオン)のToddのフェイスブックへの書き込みで知りました。

2013年NY

2013年NY



ボブ・クランショウは50年以上ソニーロリンズのベーシストとして演奏し、ジャズの世界、ジャズ以外でもとてもたくさんのレコーディングやキャリアを残した人。

私にとってはレナード・ガスキンが亡くなってからレナードから私を引き継ぐかのように音楽の世界において気にかけてくれた人。ニューヨークに住む私の「叔父さん」の様な、いつもそんな風に私に接してくれた人。私はニューヨークに行くときはいつも優しい私の「叔父さん」に彼の好きな日本茶を持って行った。
沢山の、たくさんの、優しさや思い出をくれた人。

去年ニューヨークに滞在していたとき、電話口でボブは病院がどうのこうのって言っていた。だから去年はニューヨークでボブに会う事が出来なかったの。今思えば、もう癌が見つかっていたのかもしれない。今年の春や夏にも何度かキューバから電話をしてみたけどいつも留守番電話だったの。

ボブに初めて出会ったのは、1999年、100ゴールドフィンガーズのツアーで私の大好きなドラマー、グレイディ・テイトと来日していた時。グレイディは「彼は素晴らしいベーシストなんだよ。覚えておきなさい」と、ボブを紹介してくれた。1950年代までのジャズしかほとんど聞いた事が無かった私はボブ・クランショウを知らず、「nice to meeting you!」とだけ言って握手をした。とても大人しい静かな人だった。
1999年日本。はじめてあった時

1999年日本。はじめてあった時



その2年後にの2001年、100ゴールドフィンガーズで来日しているグレイディに会いに行った。その時も、物静かなボブとほんの少し話をしただけだった。
2001年日本。リハーサルの合間に

2001年日本。リハーサルの合間に




私はその後、音楽から離れ、日本で結婚し、離婚した。
離婚した翌年の2008年、老人ホームに居るレナードガスキンの様子がおかしく、私はレナードに会いにニューヨークに行った。

レナードを元気にする私にできる事は、「歌う事」それ以外に思いつかなかった。何年も音楽から離れ、ミュージシャンとの繋がりも無くなっていた。英語が得意ではなかった私は、口頭ではきちんと説明が出来ないと思い、一枚のフライヤーを作り、ニューヨークのミュージシャンユニオンに駆け込んだ。

レナードが居る老人ホームでコンサートがしたいから助けてほしいと。
2008年。レナードの為のコンサート

2008年。レナードの為のコンサート


その時に、ユニオンで初めてそこで働くTodd Bryant Weeksに会ったの。彼はすぐに動き出してくれた。数時間後電話が鳴った。「ボブクランショウが決まったよ。凄いベーシストだよ。レナードはボブにとってのメンターのような人なんだよ」

「ボブ・クランショウ?」
確か、私が100ゴールドフィンガーズの時に会ったグレイディの友達な気がする。

私はPCに入っていたボブと一緒に映った写真を添付し、私がグレイディと一緒に居た女の子だと伝えた。

ボブは「覚えてるよ」、と返事をくれた。

私はよく解らないままに、この偉大なベーシストをバックに歌う事になった。偉大なベーシストを「バックに」ではなく、太いグルーブを出すとても優しく謙虚なベーシストに「支えられて」8年ぶりに歌った。

「レナードは僕が若い頃に憧れた人でニューヨークに来た頃にとてもお世話になったんだよ。僕にとっての2人のメンターの一人なんだ。一人はミルトヒントンでもう一人がレナードなんだ。Seinaのお陰でやっと恩返しが出来たよ!ありがとう」


それからボブはレナードから私を引き継ぐかのように歌手としての私を静かにを支えてくれた。ツアーで来日する時には必ず連絡があり一緒に食事をしたり買い物に行った。
2009年日本。

2009年日本。



ある時、ボブをホテルに送っている時、

「Seinaがデモを作る時はセッティングも全部僕がやるから。心配しないでいつでもニューヨークに来なさい」

こんな凄いベーシストが私のレコーディングに参加してくれる・・・。欲はない訳ではない。でも、それから1年、私はボブの言葉を何度も自分の中で考えた。次にボブが来日した時ボブに伝えた。「私は歌手として音楽ビジネスで生きていくとは思わない。だから私にはデモは必要が無いと思う。だからレコーディングは必要ないと思うの。でも・・・もしも、レナードやグレイディ、あなたに出会った事の思い出と感謝のレコーディングをしてもいいならやりたい。」

「10曲選んでニューヨークに来なさい。いつ来るかい?」
「来年」

Thanks For The Memoryはそうやって出来たアルバム。


私の大好きなグレディは病気で参加できなかった。
だからレコーディングの日の写真は泣いた後の顔をしている。


ボブとは沢山沢山いろんな話をした。
日本でのソニーロリンズのコンサートにはいつも招待してくれてバックステージにも連れて行った貰った。
大好きなグレイディの事もいろいろ教えてくれた。

「彼は気難しくて、演奏の時にね・・・そんな時、グレイディにサインを送って僕はフォローするんだよ(笑)」

「僕はね、ベースのソロが回ってくると実はちょっと嫌なんだよ。目立つのは好きじゃないんだよ。しっかりミュージシャンたちを支えたいんだよ」

「どんなミュージシャンと演奏するのもとても楽しいんだよ」

「昔、エラ(フィッツジェラルド)と一緒にツアーに行った時、僕は踊りに誘ったんだよ」

とても優しい、物静かな人。

ある日、私が、「アロマのマッサージさせて!」と言ってホテルに押し掛けた。(私はアロマで生計を立てている)

その時に、彼の体を触り、彼がどんなに強い人か感じた。彼の音にある太いグルーブ感と同じエネルギーを感じた。

ホテルの部屋でボブは、ジップロックの袋に入ったナッツとドライフルーツのミックスをカバンからだし、「Seinaに作って来たんだよ!」と言った。

「私、リスじゃないし・・・」って思ったけど、家に帰って食べたら無茶苦茶美味しかった。

ボブは私にとって親戚の叔父さんの様な人になった。

Jazz Foundationのベネフィットコンサートやパーティに行けて、クインシージョーンズやチックコリアに会えたのもボブ叔父さんのお陰。
クインシージョーンズ

クインシージョーンズ


2013c
私が音楽から離れてしまわず、2011年にレコーディングが出来たのは全てボブ叔父さんのお陰。

私が、レナードを笑顔にできたのも、あの日、ボブ叔父さんが居たから。

ボブと東京で地下鉄に乗ってあっちこっち行った。
ちょっと高齢なボブの手を取り、電車の中で、電車を待っている時にも、いろんな話をした。

あなたの少しどもりながら話すかすれた声がもうすでに懐かしい。

「Seinaだよ!あのね、今ね、えっとね・・・」
「お、おおお!Seinaか!」
そして、電話の最後には「セ、セイナ、気を付けるんだよ。I love you」と言う。
「うん。I love you, too!」

私が、今、PCの前で泣いているのは、ボブ叔父さんがとても温かで優しい思い出をたくさんくれたから。

ボブ叔父さん、本当に、本当にありがとう。

Angels Swingの大切な、大好きな、偉大なAngel。

天国で安らかに・・・ううん、天国でもミュージシャンを太い安定した温かなグルーブで支えてください。

そうそう、天国でレナードに会ったら、私は今キューバで音楽とミュージシャンに囲まれてる、って伝えてください。

All Right!!!(ボブの口癖)

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